【はじめに】
家と国、どちらが先に壊れるかゲーム
たとえばあなたの家の屋根に穴があいていたとします。
そのとき、まず屋根を直すか、いやいや国の政治を変えないとダメだと思うか。
たぶん、9割の人は「まず屋根を直す」と答えるでしょう。
だって、今日雨が降ったら家族が濡れるし、布団もカビるし。
それに比べて、「国を変える」なんて…まるで太陽を素手で掴もうとするくらい無謀に思えます。
でもね、
家を直さない国民が多い国って、だいたい国もボロボロになっていく。
これ、割と真理だったりします。
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【第1章】
ボロい家は、ボロい国を映す鏡
日本の話をしましょう。
最近、空き家問題ってよく聞きますよね。
誰も住んでないのに、老朽化して崩れそうな家がそこら中に放置されている。
そして、その背景には「家を直すのが面倒くさい」「金がかかる」「誰かが何とかしてくれるだろう」という、どこか他人事な空気がある。
これ、実は日本という国そのものの「自己責任放棄文化」の縮図なんです。
つまり、
「家を直さないマインドセット」=「国もどうせ直らないと思うマインドセット」
というわけ。
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【第2章】
リフォームは「革命」だ
リフォームって、単なる修繕じゃありません。
壊れたものを元に戻すだけじゃない。
「もう一度、未来を選び直す行為」なんです。
ボロボロの壁に、もう一度ペンキを塗る。
腐った柱に新しい補強を入れる。
そんな小さなアクションの積み重ねが、
気づけば家の空気を変え、家族の会話を変え、人生すら変えていく。
もし、これを国家単位で置き換えたらどうなるか?
そう、
「小さな直し」を積み重ねない国は、静かに朽ちていくのです。
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【第3章】
「直さない言い訳」を潰せ
家を直さない理由、よく聞きます。
• 「どうせまた壊れるし」
• 「金がないし」
• 「いまじゃなくてもいいし」
これ、実は国を直さない言い訳とそっくりなんですよね。
• 「どうせ政治家がまたダメにするし」
• 「投票しても意味ないし」
• 「忙しいし」
つまり、
「家を直さない自分」は「国を直さない自分」と同義。
自己責任から逃げた先に待っているのは、
雨漏りする天井と、国民が誰も信用しない国政です。
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【第4章】
じゃあ、どうする?「家から国を直す」
ここで結論です。
まずは家を直しましょう。
本棚が傾いてたら直す。
ドアがきしむなら油をさす。
壁にヒビが入ってたらパテで埋める。
その小さな修繕が、
「自分には直せる力がある」
という実感を生む。
そして、その自己効力感が、
社会を変えるために一歩踏み出す力に、必ずつながる。
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【第5章】
家を放置する国は、選挙も放置する
リフォームをしない家が増えると、どうなるか。
町がさびれます。
空き家だらけになります。
犯罪率が上がります。
人が住まなくなります。
この流れ、どこかで見たことありませんか?
そう、日本の地方都市そのものですよね。
つまり、
家を直さない文化は、
地方の衰退と国の衰退のプレリュード(前奏曲)
だったわけです。
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【第6章】
「家族会議」は最小単位の国会
小さな家族の中で、
「この壁紙、貼り替えようか?」
「トイレの便座、そろそろ交換しようか?」
みたいな話し合いをする。
これ、実はミニ国会なんです。
利害調整をして、予算を決め、実行する。
これが民主主義の一番シンプルな形。
だから、
家のリフォームを「家族の民主主義教育」として位置付けてもいい。
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【第7章】
最後に問う。「あなたはどちらを直す?」
家を直すか、国を直すか。
これ、実は二者択一じゃありません。
家を直す人が増えれば、国も直ります。
国が腐っていると嘆く前に、
今日できることは、
まず目の前のドアノブを修理することかもしれません。
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【まとめ】
直せる家を直せない人に、国は直せない。
これが今回の結論です。
壊れた家を直す力は、未来を直す力につながる。
だから、
リフォームは革命だ。
さぁ、今日、あなたの家のどこかひとつ。
直してみませんか?
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『未来を変えたいなら、まずドアノブから』

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